07 September, 2011

イギリスに来て半年が経ちました。

今年の3月5日の早朝に日本を発って、
飛行機で12時間。
イギリスは約9時間(3月はまだサマータイムではないので9時間)時差があるため、
イギリスのヒースロー空港についたのが3月5日の一時過ぎだったでしょうか?

二年間のワーキングホリデービザを取り、片道切符分の貯金しかなかったため
「2年間は帰らない。というかお金がなくて帰れない」という
あえて追い込む位の方が必死になるかと思い
二年分の荷物をぎゅうぎゅうにつめて来ました。

実は3年前に一ヶ月間滞在したこともあり、そんなにパニックになることはないと思ったものの
荷物が重すぎて不安。
しかも前回の行動範囲は南西エリア。
とりあえずで取った宿は東エリア!!地理感覚ないー!!

でもね、とってもやさしい友達、イギリス人のスタイリーが迎えにきてくれて
宿のあるオールドストリートまで車で連れて行ってくれました。

宿に着くなり、とりあえず荷物を置いてそのままスタイリーとスケートへ向かうことに。
昼寝をする暇もなかったので、おかげさまで時差ぼけなく、この夜ぐっすり眠れたのです。

それから慌てるように仕事探しと部屋探し。
こっちに来て次の日からは一日中ベッドでネットサーフィン。
なんたって男女混合6人部屋だったので、ベッドの上しか居場所がない!

観光目的で来た訳ではなく
日本にあまり入ってこないヨーロッパのスケートシーンを知りたかったのと
英語が話せるようになりたかったのと
異国で生活してみたかったという理由で来たので
(ほかにもあるけどね!)
とくに「あそこへ行きたい!」ということもなく、
とにかくお金のことが心配で
一日も早く職探しと、部屋を探して落ちつきたかったわけです。

なかなかどちらも決まらず、11日。
毎朝twitterを読みながら目を覚ましていたのですが
みんなのつぶやきがなんだかおかしい。

みんな大丈夫?
地震やばくない?
電車が止まってるみたい
と関東の友達はつぶやき

仙台の家族と連絡とれない
と誰かのリツイートは言う

とにかくつぶやきの更新が早く
日本に大きな地震が起きたのだとわかり、寝ぼけていた頭がいきなり岩でなぐられたように覚めたんです。

私の家族は大丈夫なのかな
友達はみんな無事なのかな

不安で不安でたまらなくて
同部屋の子たちも徐々に起きだしたので
「ねえねえ、日本で大きな地震があったみたいよ!!」って伝えたら
みんな意外と冷静

私はおかげさまで母親も叔母もツイッターをはじめてくれていたので
ツイッターを通して無事を確認

「とりあえずみんな無事だよー」と連絡が取れたので、ほっと一安心。
ツイッターをやっていない友達にはメールを送りました。

その日は朝から部屋で知り合った人とバッキンガム宮殿の衛兵交代を見に行く約束をしていたため、
そのまま出かけました。

夕方になって宿のあるオールドストリート駅へ着くと
夕刊が配られていました。
と思ったら、夕刊ではなく号外で、
何気なく開いたら「SENDAI」「JAPAN」の文字とともに
目を疑うような光景の写真が一面に何枚も載っていたのです。

一瞬頭の中が固まって
何が起こったのか把握できませんでした。

そのとき友達も一緒に宿へ向かうところだったので
混乱しながらもなんとか宿にたどり着きましたが
駅から宿までの5分程度、何も考えられなくて
宿に着くなり不安は倍増。
私が見た朝のツイッターの時点では、まだ地震が起きたばかりで、みんなは東北で起きた津波のことは知らず
当時のツイッター仲間は東京で働く人ばかりだったので
「電車が止まってる」「とりあえずだいじょうぶだよ」
というつぶやきしか目にしませんでした。

急に膨らむ不安から
急いでパソコンを開いて家族にskypeかけてもつながらない
ツイッターで声をかけても返事がない

そして朝見たツイッターは
夕方になってどんどん深刻な内容に変わっていました
どうしようどうしよう
不安ばかりが募り、とにかく日本はどうなってしまったのか
日本の誰でもいいから教えてほしい!とつぶやいたら
フォロワーの方が親切に「今、skypeつながりますよ!」と声をかけてくれて
チャットで話しを聞きました。
とりあえずその方は無事であり、関東もものすごい被害があったわけではなさそうだとわかり、
ほっとしました。
続けてスタイリーからも電話がかかってきて
「オイ〜!アユミ、ダイジョウブ?」と一言。
ぐっとこらえていた不安が涙になり、止まらなくなってしまいました。
スタイリーの奥さんも当時日本にいたため心配だったようですが
連絡が取れて無事だった!と言ってました。

それから今度は家族とskypeがつながって
「大丈夫よ〜!」と一言!!体から力が抜けました。

私の母の話しによると
地震発生時、外を歩いていたらしく
歩いていた道路の先はフェンスのついている崖になっていて、崖の下は田んぼ。
普段は見晴らしのいい場所ですが
母は地震の揺れに立っていられず道路に四つん這いになり、ふと崖の下の田んぼに目がいくと
なんと、田んぼの土が海のように波打っていたそうです。
その光景に「これはもう終わりだな」とまで思ったくらい、怖かったそうです。
私はもう、本当に無事でいてくれてよかった、ってその言葉しか出てきませんでした。

家にいた祖父も兄も父も無事で
一緒に暮らしていた叔母も無事に都内の職場から家に帰ってきたと聞き
とりあえずは安心したのですが
なんでこんなときに私はイギリスにいるんだろう、
自分が日本にいたとしても何も変わらないけど、少しでも家族の役に立てたかもしれない
って、かなしくてやりきれなくて、なんなんだろう?って
なんだか自分がお気楽にイギリスで生活しているような気になって、自分に腹が立ちました。

そうしたら、日本の友達がフェイスブックで
「自分を責めることないよ!あゆちゃんが元気でいることで日本のみんなに元気を与えてるよ!」
と、コメントをくれて
イギリスの友達も
「気を強く持って!」と励ましてくれました。

何よりも日本のみんなが一番大変なのに
イギリスにいる私が弱気になってどうするんだと!そういうことですよね。

それからは日が経つにつれてどんどん状況の深刻さと
被害の大きさがわかってきて
さらには原発の爆発。

4月になっても
余震はまだまだ続いている
計画停電で、祖父の介護をしている母は「電気がつかないと本当に困る」と
気がどんどん滅入っていくのがskypeで話しててわかって、私が日本にいたらなあって本当に思いました。

私の実家は大きな集合住宅エリアなので
計画停電の実施がしやすいらしく
とにかく頻繁に停電が行われ
かと思えば、一軒家エリアに住む叔母の方は、計画停電の時間になっても停電にならない。
毎回、停電にならない。
一軒家エリアは停電させるのに複雑だそうで
団地とかマンションの集合住宅エリアの方が簡単なんだそうです。

考えてみたら、そうですね。

それから月日は経ち、
先日、ふと、こっちに来て半年か、と思うと同時に
あの大震災から半年になるのか、と記憶がよみがえったのです。

日本での報道と海外の報道のされ方が少し異なっていたようで
というより、日本の報道はいろいろなことを隠し、何が正しいのかもわからない
海外の報道では原発の爆発と津波の映像を連日放送。
原発の爆発は近所のレストランでランチを食べてるときに見てびっくりしました。
おそらく日本では報道されていない映像も海外には発信されていたと思います。

地震発生からしばらくは
いろんなところで「日本人か?家族は無事か?」と
知らない人からたくさん声をかけてもらいました。

スタイリーの友達はウエールズというイギリスの西の端っこの方からロンドンの日本大使館まで
日本への義援金を募るために、自転車で走りました。

私の働くお店でも義援金箱を設置し、£600程を日本赤十字に寄付することができました。

日々、震災の報道は減っていきますが
私は自分がイギリスに来て何ヶ月か、と数えるたびにこの震災のことを思い出すのでしょう。

東日本大震災の津波で流された岩手県陸前高田市の景勝地、「高田松原」の松の木が、震災で犠牲となった人たちの供養のため、千葉県成田市の成田山新勝寺にて、今月行われる「おたき上げ」で、祈願成就のための護摩木と一緒にたかれるそうです。

以下こちらから記事を抜粋をさせてもらいます→東京新聞;被災松 成田山へ
高田松原の松をめぐっては、京都市の伝統行事「五山の送り火」の「大文字」で燃やされるはずだったが、市民から「放射線汚染が心配」などの声が上がって中止。その後、京都府や市に抗議が殺到したため、一転受け入れを表明したが、新たに取り寄せた松の薪(まき)の表面から放射性セシウムが検出されたため、再び使用を断念した。

 以前から交流があった陸前高田市の金剛寺が松の木を送る。新勝寺は、表面の皮をはいだ松を受け入れる予定で、放射性物質の心配はないとしている。

 金剛寺の小林信雄住職は「京都の問題もあっただけに、本当にありがたい。地元の人たちの心の癒やしになると思う」。新勝寺企画課の小林博之さんは「震災で亡くなった人の供養を一番に考え、受け入れることにした。被災した人の癒やしにもなればうれしい」と話した。


起きてしまったことはしょうがない
これからどうするか
たらい回しにしても解決しない
管元総理退任後のインタビュー記事を読んでびっくりしました。
次の総理はどなたでしょうか。
まさか原発推進派ではないですよね?

震災で亡くなられた多くの大切な命にご冥福をお祈りするとともに
被災者の方達の深い深い傷が少しでも癒されますように
そして、また被災地がまたいつか、昔のように平穏な日々をおくれるように、一日でも早く復興しますように。

それから、唯一の核被爆国として、世界のお手本になるような完全脱原発国となりますように。

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